毎度の雑記で、今回は田山プロについてです。
パチンコ必勝ガイドで「パチプロ日記」を連載していた人で、おっさん世代は知っている人のほうが多いですよね。THE昭和のパチプロといった感じの人ですね。。
日本一有名なパチプロ、東大中退のパチプロ、とか色々な肩書きがあると思いますが、パチンコを打って文章を書いていただけで、亡くなって20年近く経っているのに今でもその名前が出てくるのは凄いことだと思います。このブログのコメント欄でもたまに出てくる名前ですしね。
自分が読み始めたのは、ちょうど田山さんが池袋から二子玉川に引っ越した頃で、ネグラをコロコロ探しつつ溝の口でパワフルなんかの連チャン機を打っていた時代でした。
今では減ってしまったパチンコ人口ですが、当時はパチンコを打つ人のほうが多いくらいで、友達と会うと「今回の田山プロ読んだ?」くらいの会話は普通にでてきていました。
「パチンコ陰謀論」なんて本も執筆していたし、文中からも本気で陰謀を信じていたことが読み取れる。平たく言えばオカルトのおっさんで決して凄腕のパチプロとは言えませんが、その言い回しも独特で、日本一愛されたパチプロだったことは間違いないでしょう。
「バカにはできない、利口はやらないパチプロ稼業」
「パチプロなんて遊んでいるだけで立派なものではない」
「俺はそこまでパチンコが好きじゃない」
と、終始パチンコで喰っていることに否定的なスタンスでありながら、節々にパチンコで勝っていることに対する誇りも垣間見えたりで、愛すべきキャラだったことは間違いないですね笑
THE昭和のパチプロということで、平成が終わりを迎える今。田山幸憲プロについてです。
Contents
田山幸憲
田山さんは、自分が読み始めたころですでにおっさんでした。90年代初期の時点で50歳手前だったと思います。
それでも読んでいて「いい歳したおっさんが・・」といった感覚はありませんでしたね。
その頃はすでにパチンコライターとしての地位を確立していたのでアレですが、当初の触れ込みは「東大中退のパチプロ」ということでした。高学歴なのは間違いないんでしょうけど、東大だったかどうかはちょっと眉唾ですけどね笑
あの時代「どうせバレないんだから東大にしておこうぜ」くらいはやりそうなものですよね。今ならSNSで大炎上でしょうけど笑
日記を書くためにデータのメモ等は一切取らず、記憶だけで書いていたというから頭は良いんでしょうね。
そんな感じで誌上デビューした田山さんですが、それまでグレーだったパチンコの収支をメディアで明記したのも田山さんが初らしいです。
豊島区要町に戸建ての実家があったということなので、おそらくボンボンだったと思われる田山さんは、大学進学後に遊びを覚えてパチンコ・競輪・麻雀に没頭していきます。
で、パチンコの勝ち方を覚えて大学中退、、
と、今も昔もダメ人間の生成過程は似たようなものだなとか思いつつ、田山さんはパチプロへ。
ちなみに自分はパチプロという言葉があまり好きではありませんが、田山さんに関しては「パチプロ」であり「田山プロ」なのです。。。
●池袋のS店
田山さんは独身&実家暮らしで、要町にお母さんと二人で暮らしていました。実家が要町ということもあり、初期は池袋で打っていたようですね。
この頃の日記はリアルタイムではなく後から読みましたが、ヘタしたら昼過ぎには飲みに行っていますね笑
午前中にハネモノを2台打止めにして、そのまま若者とうなぎ屋で一杯。なんてことが日常で、夕方まで打ったら頑張りすぎたくらいのノリ。
いいですよね~
これくらいがホント理想だと思います。
田山さんは基本オカルトのおっさんですが、釘読みの精度は高かったようで、時代にマッチしていたのでしょう。
ちなみにこの頃の田山さんのネグラである
「ブクロのS店」は山楽会館という店で、今の西口のガイアがそれみたいですね。おそらく居抜きでの買い取りだろうから、この階段を田山さんが、、
と感慨深く歩いた思い出があります。
今はガイアですけど笑
【追記】
コメント欄で教えてもらいましたが、今はガイア池袋西口店も閉店してしまったようです、、またパチンコ屋が入ってほしいですね、、
●引っ越し
池袋で打っていた田山さんですが、要町の自宅を売ってしまって二子玉川にお母さんと引っ越してしまいます。パンクしたんでしょうね笑
基本的に勝ちすぎないような打ち方しかしないのに、飲みの席では基本おごりだったみたいで、貯金とか全然しないタイプでしょうからね。
ちょっとアケられなくなると・・
といった感じでしょうか。
パチンコでパンクして実家を売って引っ越し。
超ダメ人間ですが、この辺もダメ人間臭を感じさせないのも田山さんの魅力ですね。
たしか妹さん夫婦が近くに住んでいるから世田谷に引っ越したと記憶していますが、引っ越してからも最初は勝手知ったる「ブクロのS店」に通います。しかし新玉川線(今の田園都市線)から山手線で池袋へと乗り継いで通うのは、ダメ人間の田山さんが耐えられるはずがありません。
田園都市線はクッソ混みますからね笑
1か月ほど通って、ついに通いなれた池袋をあきらめて近場の店にネグラを求めます。ネグラというくらいだから、田山さんは亡くなるまで終始ジグマでしたね。
●溝の口
三軒茶屋の店で輩に「お前雑誌のやつだろ」とかからまれて追い出されたりしつつ、世田谷界隈でジグマでやれそうな店を探していた田山さんですが、そのまま田園都市線に乗って溝の口に通うようになります。
二子玉川から溝の口だと3駅だし、通勤ラッシュと逆方向だったから田山さん向きだったのでしょう。。
この頃から「パチプロ日記」は日記と化していき、家を出たときからの描写から始まるようになります。早めに家を出て、開店直前までネグラとするパチンコ屋の近くの喫茶店で一服しつつ、スポーツ新聞で競輪の予想が日課。
いいですよね~
稼働前に喫茶店で一服は憧れはありますが、いまだ一度も実行したことがありません。。
初代パワフルを中心に打っていた頃で、低換金ラッキーナンバー制だったから展開的にもおもしろかったですね。
めくるめくオールフルーツ!で無制限札を取っても夕方でヤメてしまっていたりも、いい感じでした。
●用賀・桜新町
しかし溝の口のB店は、駅前開発でなくなってしまいます。溝の口の駅前は、今はまったく違う風景になってしまっていますもんね。
それでまたまたネグラ探しの田山さんは、そこからはドッシリと何年も同じ店に居続けることはなく、桜新町の2店、用賀のH店等々、あくまでジグマとして転々とします。
この頃はCRにも手を付けていて、球界王なんかをよく打っていましたが、それでも夕方でヤメていました、、
当時同時に連載していた安田一彦なんかは持玉になるとキッチリ定刻まで座っていたのと対極で、よく勝ち続けられるな~
といった印象でしたが、それでも圧倒的に田山さんのほうが好きでしたね。。
●vsパチマガ
この頃パチンコ攻略マガジンが、田山さんを叩きまくったことがありました。内容はズバリ「田山理論はオカルトだ」で、そりゃそうだけどそれは言ったらダメだろ~
って感じでしたね笑
そしてそれに対して田山さんは「外野がギャーギャー言うな!俺はこれで何十年も食ってきたんだ!」的な顔真っ赤にした対応でして笑
やっぱりパチプロの自分を誇ってる部分はあったんでしょうね。ホントこの辺が愛すべきキャラでした。
しかし今はパチンコ雑誌も、雑誌間の垣根を超えて仲良くしていますが、昔は露骨にバチバチやっていて面白かったですね~
●映画化
そして映画化へ笑
といってもオリジナルビデオというやつですが、斉木しげる主演で映像化されています。
これは作品自体が良い悪いは人それぞれとして、90年代のパチンコ屋の風景が見られるのがいいですね。アドレスを貼るのは危険なのでやめておきますが、今でもYouTubeにあるはずなので、気が向いたら見てみてください。
●最後は用賀
田山さんは、桜新町の店に通っているころ、店に向かって歩いているときに舌に違和感を感じます。この日のことも「パチプロ日記」にはしっかりと書かれていて、「ま、口内炎だろう」くらいに軽く流していましたが、、
これが舌癌だったんですよね。
亡くなったあとでこの日の日記を読むと切なくなりますね、、
ここからの後期は、半分闘病日記、半分稼働日記といった感じでした。
当時から等価が売りだったヒノ〇ルチェーンの用賀店、用賀のH店でギリギリのナナシーばっかり打っていましたね。
一度は手術に成功し、パチプロとして復帰。
舌を思うように使えず、喫茶店の注文で「アイスコーヒー」と言ったら上手く言えずに聞き返されて、それ以降ホットなんて飲みたくもないのに「コーヒー」としか言わなくなったとか。
舌にやさしいからパチンコ屋では牛乳やさんのコーヒーしか飲まなくなったとか。
相変わらず独自の言い回しの中、癌の再発が発覚し、2001年7月4日。ナナシーの日に亡くなってしまいました。
自分は上京したての頃、用賀に住んでいた時期がありまして、何度か田山さんを見にヒノマルへ行ったことがありますが、結局一度も会うことはできませんでした。
病気も結局大丈夫だろうし、近くに住んでいるし、そのうち会えるだろう。
とタカをくくっていただけに残念でした、、
その頃はほぼスロットしか打っていなかったので、そんなに頻繁には行ってなかったんですよね。それでもパチンコ必勝ガイドの「パチプロ日記」だけはかかさず読んでいました。
このブログも、田山さんっぽいと言われたことが何度かありますが、それは単純に影響を受けているし、パロディ的に田山語録を使っているからですね。。
動き始めた並びの最後尾に付いて入店
当たる前から右打ちの構え
後学のために座ってみよう
あたりは完全にパクってますね笑
でもさすがに
家を出たらもう春の陽気。行きかう女学生のブラウスがまぶしい季節。そんな中今日もニコタマ街道をひたひた歩く。
みたいな書き出しは絶対マネできませんけどね笑
ということで以下田山プロの名言です。
田山幸憲名言集
●タテの比較 ヨコの比較
これが1番有名ですかね。
大当り抽選に関しては、デジタルアナログを問わず、徹底してオカルトな田山さんですが、釘の動きには細かく書いていました。
縦の比較:その台の前日までの釘の流れとの比較
横の比較:その日の他の台との比較
ですね。元々ヘソだけ大きく見せて寄りで殺してくるような店で、ヘソを見てテンション上がる人は居ないように、パチンコのアケシメというのは前日までとの比較が一番大切という、珍しく(唯一?)正攻法的なことを言っている言葉です。
●シメシメルック
これが2番目に有名?なシメシメルック。
「...で入店すると、なんだこれは!右を見ても左を見てもシメシメルックじゃないか!」的な使われ方ですが、全然アケていないということですね。。
最近のパチンコ屋のシメっぷりを田山さんが見たら卒倒してしまいそうですが、シメシメルックを超える言葉を開発してもらいたいです。。。
●デキた!
田山さんが「デキた!」と書けば、その日の稼働が仕留まった=良い形で勝ちが確定した的なニュアンス。
阿佐田哲也の「仕上がるぞ~仕上がるぞ~」みたいな感じですね笑
●鬼の棲家
「今日の鬼の棲家は3000発」みたいな、おそらく定量性でパチンコを打ち始めた田山さんだからこその感覚なのかもしれませんが、〇〇発を今日は超えないという、完全にオカルトですね、、
●〇〇個落ち
これも完全にオカルトで、田山さんは次の大当りまでに何発吸い込むか決まっていると、本気で思っていたようです。なら回らない台のほうがいいのでは、、とすら思うくらいですが、そこはちゃんとアケに座るんですよね。
回っていると当たらなくて回らなくなると当たりは近いとか、、、
自分が予想した吸い込み玉数でぴったり当たると「君は本当に頼りになるラインだ」とか、、
そのために打ち込み玉数を数えているのはどうかと思いますが、初代パワフルで田山さんが好きだった1万500円で当たると「やっぱりあるのか...」とかいまだに思ってしまいます笑
●ホっと胸を撫で下ろす
ハマった後に当たってホっとしているところですね。
●脱兎のごとく
二日酔いで朝ギリギリに起きたときは、急いで着替えて、猫のように洗面し、脱兎のごとくパチ屋へ向かう。
です。
●デキが良い
これが微妙で、最初はハネモノの役物のデキを語っていたり、釘のデキを語っていたりだったのが、デジタルのデキにまで言及することも、、
●してやったり!
してやったり!はいいですよね~
ハマった後や、ここ一番のリーチが当たった時なんかは「してやったり!」
何十年もパチンコで喰っていて、1つの大当りに対して「してやったり!」とか、「下皿の玉を抜く手が震えている」とか、この辺が田山さんの愛されるところでしょうね。
●あにはからんや
あにはからんや、田山語録ではありませんが普通は使いませんよね笑
●目くるめく~
ここ一番の大当りは「目くるめく7・7・7」
パワフルの時は「目くるめくオールフルーツ!」
モンスターハウスの時は「目くるめく犬・犬・犬!」
田山さんは最後までモンスターハウスの狼男を犬と書いていました笑
持玉遊技ができるときが「めくるめく」が多かったですね。
●眠くなるような目の羅列
今ならスーパーリーチもかからず、赤保留も出ず、、
ってところですね。上手い言い方だと思います。
●ケツが浮いた
ケツが浮くことはないんですけどね。。
いや、田山さんなら浮いていたかもしれません。。
●当たる前から右打ちの構え
これはナナシーの全回転リーチの時によく使っていました。初代ナナシーの信頼度は約97%なので、それはそうですが、、
って感じですが、田山プロはこの全回転をよく外していましたね~
で、「なぬっ!」で完結なわけですが、このブログでも主に魔戒ノ花のころにパクっていました。。
●ゼツい
これが最後まで意味が分からなかったんですよね、、
大当りしたときに後ろに知り合いが居て、振り返ると〇〇が「ゼツいぜっ!」と言って去っていった。
みたいな使い方だったと思いますが、知っている人が居たら教えてください。。。
【追記】
コメント欄で書いてもらいましたがどうやら「絶妙だぜ!」が濃厚っぽいです。次点で「絶好調だぜ!」も出てきました。
ありがとうございました~
まとめ
田山さんは残念ながら54歳と若くして亡くなってしまいましたが、自分は非常にきれいな亡くなりかただと思っていました。
なぜって田山さんの打ち方だと、その後の時代、通用しなかった可能性が高いですからね。
今生きていたら72歳。さすがに引退はしているでしょうが、田山さんが軍団のことをグチグチ書いているところとか見たくないですし、、
なんとかギリギリパチンコで勝っている状況で...っていうのは言葉は悪いですが、良かったと思います。
阿佐田哲也のように純文学にまで進めたならまた話は違うのでしょうが、田山さんの文章は素晴らしいとはいえパチンコ特化の超ニッチですからね、、
といった感じで、自分が読み始めたころの田山さんの歳に自分が近づいていることにゾっとしつつ、亡くなってなお語られている伝説のパチプロ、田山幸憲氏についてでした。。。
【追記】
田山幸憲のパチプロ日記。本自体は高騰していますがAmazonkindleで電子書籍が出ていますのでチェックしてみてください。。
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