パチンコにのめりこみ始めたのはCR以前、90年代前半でした~生立ち②

の続きです。

中2でパチンコの初打ちを終えるもそこまでハマりもせずにパチンコは付き合い程度で、楽器にハマりまくっていたタンクロウ少年。

高校を出てすぐに、母親と同じように手紙1枚置いて家を出てしまってからが、今日まで続く完全無欠の職歴ゼロのスタートとなりまして、徐々に徐々に、パチンコ屋へと向かうことが増えていきます。

当時はハネモノ全盛?だったのか何なのか、ハネモノがない店はほとんどありませんでした。特に自分がよく行っていた店は

↓入口
[ハネモノシマ] [ハネモノシマ]

[ハネモノシマ] [ハネモノシマ]

[ハネモノシマ] [ハネモノシマ]

[デジタルシマ] [スロットシマ]

みたいな店でした。

ハネモノは新要件と旧要件が混在する時代。まだ規制のことなんてわかっているわけがないから、16R続くやつが新要件、8Rで終わる機種が旧要件。くらいの認識でした。

ビッグシューターや道路工事なんかは、新旧両方あった気がします。。

デジパチはCR以前で、現金機時代はメーカーもやりたい放題で、保留玉連チャン機や数珠連機等、現金機でも確率は変動しまくりな時代。

ドット、セグの時代から、初の液晶付きパチンコ麻雀物語が出てきたころでした。

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そんな時代背景の中、18歳で家を飛び出ましたが、年齢的にまだ地元の同級生の友達はほとんどが実家なわけです。当時の彼女もまだ実家暮らしでした。

なので、とりあえず年上で一人暮らしをしている友達のところに荷物を置かせてもらい、フラフラフラフラと、、

いつの時代もパチンコ屋はダメ人間にやさしいから、根無し草な生活もパチンコ屋に入ることが増えた理由だったかもしれません。

しかし負け続けるとパチンコも打てなくなります。

なので、少しずつ勝てるようになるにはどうしたらいいか、、と考えるようになります。ウザガキの浅知恵というやつですね。。

この頃はハネモノがメインで特にブンブン丸を好んで打っていて、大当り中の貯留状況によって打ち方を変えたり、

ビックリハウスというハネモノは、役物入賞→ハズレでデジタルが回転して「7」停止で回転体がV入賞しやすくなる役物で、朝一電源を入れた後は「7」なのでそれを狙ったり、、

程度のホント浅はかなものとはいえ少しずつ考えるようになりました、が、もちろんその頃は期待値なんて考えてもいないので、良さそう悪そう、だけが判断基準で、トータルでも全然勝っていたとはいえません笑

それでも若造一人、住所不定でフラフラするのにお金なんか全然かからないわけで、携帯も金持ちしか持っていなかった頃だから、ヘタしたら月4~5万あればどうにでもなるんですよね。

バカだから将来のことなんて何にも考えていませんしね笑

そんな感じで、練習に没頭しつつ、パチンコを打ちつつ、演奏の仕事もたまにしつつ、たま~に友達の仕事を手伝いに行きつつ、、

と、書いてみたら今とたいして変わらないのがどうかと思いますが、そんな放浪生活が続いていきます、、

しかしやったことがある人はわかるかと思いますが、男同士の同居というやつは、なかなか長くは続きませんよね。よっぽど仲が良いか、よっぽどの主従関係がないと厳しいと思います。

なので、何人かの友達のところに住ませてもらったり、スタジオで寝泊まりしたりしているうちに、高校のころから付き合っていた彼女と別れてしまいました。

ので、ここからヒモのような生活が始まってしまいます、、、

ここから上京するまでの4年間くらいはホントにダメ人間な生活で、いやずっとダメ人間ではありますけど、この頃は完全に女の子によっかかりきった生活でした。バンドマンを支える水商売の女の子という、よくよくある図式でして、、

この手の「ダメな男を好きになってしまう女の子」を探す鼻だけは利いていて、そろそろ潮時と思ったら次のコへ、、と渡り歩き、つまりはたいしてお金に困っていない生活が続いてしまうわけです、、

そんな情けない生活の中、パチンコは打っていました、、

ノリ打ちの相方Y君とはこの頃すでに知り合っていて、初めて連れ打ちしたのはY君が17歳?のころだから、もう20年以上一緒に打っているということですね、、

その時の台もハネモノのブンブン丸でした。

Y君が後から店に入ってきたときにはこっちはすでに当たっていて「うまいですね、、」(←当時は敬語でした笑)と意味不明なことを言ってきて、アホだなこいつと思いつつ20年以上の付き合いという不思議な縁で、、

Y君は当時から荒い台が好きで、裏物のEXAのシマへと消えていきました、、、

この頃になるとCRも出てきていましたが、今の設定付きパチンコのようにひっそりと、、といった感じで、まだまだ全然現金機がメインでした。

そこから、花満開、大工の源さん、名画といったヒット機種が出てきて、徐々にCR機の設置比率が上がっていくことに。

ちなみに花満開や源さんなんかは設定が付いていましたが、自分の記憶ではモンスターハウスがCRで設定なしの最初の機種で、結局そのまま設定なしがメインとなって消えてしまったまま今まで続いてきましたよね。なので設定付きパチンコは求められていないというのが正解な気がしてならないのですが・・・

と、CR機が増えてきた時期も、自分は現金機がメインでした。たまにの一勝負はあったけどカードの購入がメンドクサイし、何よりCR機は初当りが重かったですからね、、

現金機は1/220~256くらい
CR機は1/300~400くらい

40~43玉メインで、貯玉再プレイどころか会員カードなんてあるはずもなく、ラッキーナンバー制の時代にCR機の初当りは自分には重すぎましたね。さすがにこの頃になると持玉比率というか、持玉のほうが得なことくらいは意識していましたけど、相変わらず期待値なんて考えていません笑

この頃の現金機といえば、保留連チャン機は麻雀物語、Fキング・クイーン、パワフルⅢ等。保留連チャン機は、大当り中に溜まったヘソ保留を大当りに書き換えて連チャンするタイプで、ブルーハワイのように通常時の保留を空けて打つ等の有利な打ち方はありましたが、通常時は基本的に平たい感じでした。

が、モード移行で連チャンするタイプの数珠連機は話が違い、だいたい天国・通常・地獄モードがあって、それぞれ1/30・256・900、とかでした。

モード移行を大当り終了後に行うということは、朝一電源オン時も行うということですね。当時のパチンコにはRAMなんてものはなく、電源を切ったら全部飛んでいましたからね。。

春夏秋冬は朝一1回目のハズレリーチ後にモード移行抽選を行うとか、とにかく朝一が有利でしたね~

藤のアレパチも朝一はモード移行抽選で、エキサイトは1/4、アレジンは1/8、アレキングは1/16(←記憶なのでだいたいです)みたいな感じで天国抽選をしていたので、朝一ピュイはホントにアツかったですね。9時開店、9時半開店、10時開店と回ったりできました。

春夏秋冬とエキサイトがある店が夕方停電になって、復旧後は春夏とエキサイトのシマがもみくちゃになったくらい、電源オフ→オンのアツさは浸透していました。。

といった感じでどんどんパチンコにのめりこんで行ってしまいます。

ライブの本番前に軽く一勝負...のつもりが出てしまって、ヤメるにヤメられず、当時は携帯も持っていなくて状況もわからずギリギリ大丈夫な時間に戻ったら、ちょうど舞台で機材の転換中だった、、

とかいう今考えると恐ろしいことをやってしまうくらいにはのめりこんでいました、、依存症に片足突っ込んでいたといえるでしょう、、

その時の機種は、今でも忘れないニューギンの業界初()のベルト機(ドラムがベルトになっただけ)、フルーツマシーン2。保留連でも数珠連でもないノーマル機でした、、、

しかし、この頃ヒットした機種はほとんど今でも後継機が出ていますね。

続く。。。
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