の続きで、スロットの初打ちの頃の話です。相変わらず何の役にもたたない話ですが、暇つぶしのお供にどうぞ。。。
自分がスロットを初めて打ったのは、おそらく4号機登場直前で、3号機、2号機、1.5号機混在の時代でした。
この頃のスロットのシマの雰囲気は、強面のおっさんオバサンがイライラしながらレバーを叩いていて、なかなか独特なものがありました。
パチンコにはすっかりハマりかけていたとはいえ、ハネモノを中心にまったり打っていた自分なんかには、敷居が高くて無縁な世界でした。投資も1000円単位ですしね。
なんせ4号機と5号機の時代が長すぎただけで、3号機以前は「1メーカー2機種まで」という今からは考えられないような素晴らしい規制があって、ひとつの時代が短かったからこそ、これだけ混在できていたのだと思います。
発売できる機種に限りがあったからメーカーも作り込んでいて、今の新台乱発時代に爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいくらいですね。。。
この頃のスロットのシマには、今のように各台にサンドと払出しのノズルなんて店は皆無で、最新の店でも2台共有のサンドに千円札を入れて、交互にコインを手で下皿に入れていた時代。
まだまだ古い店では、シマ中のコイン貸し機に千円札を入れて50枚ずつ台に持っていって打つような店もありました。
更に昔はカウンターのおばちゃんに千円渡して50枚の棒をもらっていたらしいですね。千円を1本と言っていた名残らしいですが、投資○本なんて言い方もすでに死語となってしまいましたね。
まだ台上のデータカウンタもデジタルの店は少なく、BIG終了後に店員がリセットをすると、台上のカウンタを手動でひとつめくったりしていました。BIG終了後のリセットがオートになったのって4号機からなんですよね。
ボチボチ6号機も登場しようかというこの時期に一体何の話を、、、
という感じですが、そんな時代の中、スロットのシマへ入っていくこととなります。
この日もパチンコを打とうと思ってパチンコ屋へ。
パチンコもまだ札を投入できるサンドは導入されておらず、100円単位のサンドが多かったので、シマの端にある両替機で2000~3000円両替して打っていました。
当時はデジパチもハネモノも、ラウンド中のV入賞でラウンド継続&V入賞せずで即パンクだったので、サンドに札が入らないのだから、予備の100円玉は必須でしたね~
今のジャブジャブ1万円札を突っ込む感覚とはまるで別物ですね笑
店に到着していつものように両替しようと1000円札を両替機に入れると、明らかに100円玉10枚より多い物体がジャッ...
っと落ちてきまして、、、
確認するまでもなくそれはスロットのコイン50枚で、メダル貸出し機と両替機を間違えてしまったということですね。。。
同年代ではそこそこある失敗談みたいですが、アレは結構愕然としますよね~
しかしやってしまったことは仕方ないので、適当な台に座って飲ませることに。
機種は3号機のアラジン2でした。後から認識したところによると、ノーマルだったようですね。
見よう見まねでコインを入れて、適当にペシペシ打つこと数Gで、ピンクの7が3つ並んでいてBIGスタート、、、
訳もわからず350枚出ました。
訳もわからず続行して、結局飲まれてヤメてしまったけど、この7が揃った光景も鮮明に覚えていますね~
そんな感じの初打ちだったので特にウマい思いをしたというわけでもないのに、とりあえずコインを3枚投入してレバーを叩き、リールをすべて止めて次ゲームへ。
一丁前の顔をしてスロットのシマに居る、というハードルを乗り越えた達成感のみが残りました、、
また、この頃のスロットは図柄も各社特徴があり、サミーのチェリーに水滴が付いている感じ等なんだか妙に惹き付けるものがありましたね~
リールも細く、ボーナス図柄も小さくて最初は7も見えませんでしたが、コンチのように大きめの図柄の機種で、右リールにボーナス図柄の塊が1つしかないような機種で徐々に目押しも覚えていき、スロットにも少しずつハマっていくことに、、、
コンチといっても4枚掛けは終わっていて、しかも自分のような一般人のド素人にそんなおいしいネタが回ってくるはずもなく、普通に負けながらたまに打っているくらいでした。
先輩の中には貯金方式のワイルドキャッツで勝っているなんて人も居ました。その店のワイルドキャッツは、ボーナス成立ゲームでボーナスを揃えないとフラグは貯金され、一度ボーナスを引くと(揃えると)その貯金を吐き出すから、毎ゲームボーナスを狙うことによって勝てるという仕様。
今と違って液晶はないし、予告音もないし、とにかく毎ゲームボーナスを目押し、、
とかの話でしたが、今と同じくメンドクサイことは嫌いだったので、「へ~」くらいでした笑
この辺の誘いに乗っていればもう少し早くから安定して勝てたんでしょうけど、なんとなく自分はバンドマンで「パチンコスロットは遊びの延長」という感覚はこの頃から強く、なんとなく今でも引きずっている「自分は専業ではない」と言い張りたい感覚ですかね、、よくわかりませんけど。
そういえば初代モンスターハウスで体感機をやっていた友達も居ましたけど、この誘いもメンドクサくて結局手を出しませんでしたね。昔は体感機も違法ではなかったんですよね。。。
それでもハネモノ同様、アホな頭で少しずつ考えるようにはなります。
7枚交換で現金を入れるなら機械割140%でチャラじゃないか、、という初心者が陥るあるあるなワナにもしっかりハマりましたよ笑
そんな中、当時のスロットで一般人が有利に打とうと思うと、何はさておきモーニングですよね。おっさん世代はみんな知っていると思いますが、モーニングというのは朝一開店時にすでにボーナスフラグが立っている状態を店が用意するサービスで、モーニングが入っている台は朝一1回転でBIGが揃いました。
ただ、7~7.6枚交換がメインで6枚交換なんて超高換金の時代。持玉比率で考えてもモーニングが仕込まれている台は低設定が多く、ほぼ飲まれてしまうような台ばかり、、
中にはその中の1台だけそのまま伸びる店もありましたが、当時はまだ期待値なんて意識していないので、伸びる台・飲まれる台、くらいの認識でした笑
しかし、ある店でモーニングの仕込みがバレバレの店がありました。スーパープラネットに限り、モーニングが入っている台は朝一リールの図柄がズレていたんですよね。
当時の友達とは「手打ちの店はズレないが自動打込み機でフラグを立てるとズレる」という認識で納得していましたが、この真相はいまだにわかりません。
しかしとにかく毎朝朝一1Gでボーナスをもらうことは出来るような状況に、、
なんせアホなガキですから、猿のように通いますよね、、、
更に時効かと思われますが、徐々に7枚交換で朝一現金を入れるのがバカバカしくなり、前日のコインを持ち帰るように、、、
朝一1枚でBIGが始まるわけだから、お金を入れるのはアホくさいですよね。
当時モーニングをやっている店は開店後1時間は交換NGな店も多く、この店もNGでしたが、朝一BIG後のフルーツで食いつかないとダメな台と判断して、1時間放置して流したりと好き勝手やっていました。
THEウザガキですね、、、
当時のパチンコ屋は怖かったですが、こっちも若くてイキが良かったから、そんなことは知ったこっちゃない感じ。。
そんなイキっているところで人生初の肩叩き笑
今のように
「あの~止め打ちのほうはご遠慮いただいて...」
みたいなものではなく
THE・直球。
「お前ちょっと事務所来い」
でした笑
首根っこを捕まれたような風情で連れていかれて、これまた人生初のパチンコ屋の事務所。
グレーの汚い事務机がひとつとキーキーうるさい事務椅子。
茶色の合皮をガムテープで補修した安っぽいソファーに座らされて、強面のおっさん店員3人に囲まれギャーギャーとお説教が始まりまして。。
こっちも何も持っていないガキだったから、蛙の面になんとやらでしれーっとしていると、それが気に入らなかったのか手痛いお灸をすえてもらいました。。。
なぜか出禁にはならなかったし、ボコボコにまではされなかったけど、今の自分の「パチンコ屋で勝つのはほどほどに」というスタンスは、この時のことが大きかったと思われます。
とはいってもパチンコ同様、まだまだ鼻垂れ小僧の小手先であって、安定して勝つというには程遠い状況でした。
が、この頃はまだ10代で住所不定無職。彼女は実家だったから友達の家を転々と、その日出会った女の子の家に泊まったり、アテがないとその辺で寝たり、よく知らない人とタクシーでパチンコ屋に向かったりと、なかなかのクズっぷりでしたが、思い返すと色々楽しかったですね。。。
ちなみに住所不定のダメ人間でしたけど、練習だけは真面目にしていましたよ笑
続く。。。
→生立ち④なんとなく勝てるようになったのは4号機初代クランキーコンドルからでした