なんとなく勝てるようになったのは4号機初代クランキーコンドルからでした【生立ち④】

前回の続き。

ウダウダウダウダとパチンコスロットにハマっていき、色々考えながら打っていくも、なかなか安定して勝てるようになってはいませんでした。

パチンコは40~43玉ラッキーナンバー制、スロットは無制限だけど7枚交換の時代。

ヘタしたらスロットも1回交換(REGのみ持玉遊技可でBIGで交換)や1000枚定量制(持玉が1000枚に到達で交換)の店もありました。

パチンコはそれでも持玉比率を意識して真面目に打ったり、モーニングを狙ったりで、まだ何とかなっていたような気もしますが、持玉比率なんて言葉は知らないし、期待値なんて学校の教科書で見た記憶があったかどうか程度、、、

期待値なんて少なくとも今のように日常的に聞ける言葉ではありませんでした。

この頃のパチンコは換金率が低くてラッキーナンバー制だから、基本的に全台出率は100%を超えているような環境。

2.3~2.5円交換で毎回交換させていたら、出率100%程度の回しだと店が儲かって仕方ないような状況ですからね。。

今の機種でいえば、沖海4が全台25/k以上回って、中にはお宝台も、って感じですかね~

当然会員カードなんてないから再プレイもない。移動共有なんてあるはずもない。

そのかわり、ネタをやっていたクラスの人の世界は知りませんが、止め打ち注意なんてものは存在しませんでした。

時短機(確変はないけど次回まで時短が付く台)でラッキータイムの1時間丸々電サポでハマって、電サポの増やしで箱を下ろしてもらっても何も言われないくらいでしたね~

といった感じで、当時は持玉比率が鬼だった変わりにラッキータイムがありました。

通常だと、333・777のみ持玉遊技可なルールが、店内に表示されている特定の時間になると店内の音楽が変わり

「ぁいらっしゃいませぇ、ぁいらっしゃいませぇ、本日もぉ、ぁ当店、ぁ○○えぇ、ご来店いただきましてぇ、ぁまことにぃ、ぁまこぉとにぃぃありがとうございます、、
ぁただいまのぉ、ぁお時間よりぃ、ぁラッキータイムぅ、ぁラッキータイムの開始となりますぉ、ぁどちらのお客様もぉ…」

という、ねちこ~いアナウンスと同時にラッキータイムスタート。この間の時間はどの図柄で当たっても[連続遊技]の札をもらえました。

この頃のパチンコというのは、この[連続遊技]札を巡る攻防が、ゲーム性の核となっていました。無制限がデフォルトの今とは別世界ですね。。

更にだいたいの店は開店後1時間は無制限サービスで、開店後1時間で当たりを引くと無条件で無制限札をもらえる店が大多数でした。

だから今考えると、ここで引ければ終日。引けなければその日は終わり。

これだけで勝てる時代だったと思います。

しかしこの頃はパチンコで喰っていく気なんてさらさらなく、あくまで自分はバンドマンであり、更にヒモまがいの生活だったので目先のお金にも困ってもなく、、

そんな徹底した打ち方はしていませんでした、、、

朝まで遊んでポンキッキーズでジャカジャカジャンケンをして寝るor気が向いたらそのままモーニング。みたいなダメ人間な日々でしたしね笑

その頃のスロットはというと、4号機の1発目、チェリーバーが出てきた頃でした。

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3号機時代のBIGボーナスは純増枚数方式(ほぼ毎回規定枚数の獲得)だったのが、4号機からは期待値方式(毎回小役の引きによって獲得枚数が変動する)へと変わったことにより、大当り中の技術介入というゲーム性が加わったことになります。

4号機1発目のチェリーバーにもこの概念は取り入れられ、リプレイハズシは有効でした。

2枚掛けをすることでジャックイン確率が大幅に上がり、BIGの最後数ゲームを2枚掛けで消化することでパンクを防げるという、明らかにリプレイハズシを意識した作りでしたね。

しかし、チェリーバーはわりと導入されていましたが、山佐全盛時代にリーチ目は地味だし、ボーナス告知はフラッシュだし、シングルの集中も4号機からパンク確率を上げなければならなくなり、そこまで人気はありませんでした。

自分らも「おおーハズせた。。。」くらいのノリで、そこまで打ってはおらず、それより裏モノやりたい放題の3号機以前の機種や、4号機第2弾の初代ニューパルサーばっかり打っていました。

BIG1回で10数枚お得とかどうでもいい感じでしたね。。

5号機から打ち始めた人にとっては、4号機=爆裂機、なイメージが強いかもしれませんが、初期というのはそれはそれは地味なものでしたね。むしろ裏モノ撲滅の流れのための規制のような意味合いが強かったと思います。

リプレイというのも当初は小役とは別物で、in枚数にもout枚数にもカウントされない、まさに再プレイという意味合いが濃く、店によってはリプレイのゲームはカウントしないカウンターもあったくらいです。

今の1個返しのフロックのようなもので、in枚数の抑制=射倖心の抑制の意味合いだったと思いますが、まさか後々このリプレイ確率の変動がスロットのゲーム性の核になるとは、、

何にしても、いつの時代も法規レベルの改正の後は、不正の防止と射倖心の抑制が謳われるということなのでしょう。

新基準機である4号機は検定が通らず、雑誌ではパチスロ冬の時代という文字が毎月のように載せられました。

まだまだ初心者だった自分には、何が冬の時代なのかまったくピンときていませんでしたが、そんな感じでした。

しかしそんな冬の時代の4号機初期、ユニバーサルからクランキーコンドルがリリースされました。

この頃は少なくとも自分の地域は山佐の天下で、大量リーチ目搭載機種が大人気の時代。雑誌にもリーチ目特集が大々的に組まれていました。

それに対してユニバは、一発告知のBタイプトロピカーナや、相変わらずコンチを引きずったキングオブカリブ等、時代に逆行していた感が、、

それがついに、あの大手のユニバが山佐をパクった、、

図柄こそカエルに変わってコンドルで、7図柄は象徴的なユニバの7で、決してパクリではないはずなのに、どうしても最初は山佐のパクリの印象の人が多かったと思います。

それまでのユニバ系は、スベリや7のテンパイ形でフラグを察知する機種がメインでしたからね。。

そのクランキーコンドル、時代の流行りのワンノブゼムといった感じで受け入れられていましたが、すぐにリプレイハズシが出回ってからは、若者を中心に爆発的な大人気機種となりました。

なんせBIG中2コマ目押しができれば機械割は104~5%?だったか、

とにかく取りこぼしがなければ、設定1でも全然勝ててしまうのです。

時代は繰り返すもので、技術介入といってもネタレベルの精度は要らず、慣れれば誰でもできるという意味では京楽の銭形とかなり近い状況だったと思います。

この頃はさすがに2コマ目押しはできていたので、クランキーコンドルは勝てるようになりました。

更に設定判別、今のように様々な要素からの設定推測ではなく、小役の減算値からの判別ですね。

それも覚えて、スロットもパチンコ同様低換金だから、設定4、5あたりは普通に判別通ったりしていました。

なので、チマチマと勝てるようになったのはこの頃、クランキーコンドルからですね。

しかし、それでもまだまだ

「たくさん当てればたくさん勝てる」
という感覚は健在で

「たくさん回せばたくさん勝てる」
という感覚にはなれていなかったように思います。

田山さんの記事でも書いたように、ダラダラと打っていくスタイルに憧れていたり、自分は音楽家でありパチンコで喰っていくつもりなんてさらさらないという感覚であったり、やっぱりヒモだからそこまで頑張らなくても生活はできていたり、、、

何よりダラダラと遊び人風情ではありましたが、練習だけはクッソやっていました。若いバンドマン、ミュージシャンの人が読んでくれていたらわかると思いますが、若い頃というのは5時間10時間と平気で練習しますよね。今はさっぱりですけど、、

1日練習をサボると3日分の練習を捨てたことになる、的なことを言われる中、それでも遊ぼうと思ったらとてもじゃないけどパチンコの終日稼働なんて不可能なわけで、、

上に書いたパチンコの持玉比率もそうですが、パチンコやパチスロで勝つということは設定推測、釘読みや期待値計算なんかより、勝てる台をできるだけ長く打つということを徹底することが一番大事ですもんね。

あの甘い時代。もっとしっかり打っていればヒト財産を、、と後悔している人も多いと思いますが、自分もそんな感じでダラダラと打っていました。

せめて今程度は打てるように、あの頃の自分を説教しに行けるなら行きたいような気もしつつ、あの頃の自分に今の自分を説教してもらいたい気もしつつ。。

何が正解かはわかりませんが、いつ打っても勝ててしまうクランキーコンドルの登場でひとまず勝てるようにはなってしまい、ズブズブとハマっていくこととなります、、、

続く。。。
生立ち⑤4号機中期~狂乱のAT時代、なんとか勝ててはいたものの、、、


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