なんだか忙しくて全然打てていないので、以前からたま~に要望のあった生い立ちを不定期で書いていきたいと思います。
何かの役に立つわけでもなく、ただ重度のパチンコ依存症が誕生するまでというどうしようもない話ですが、暇つぶしにどうぞ。。
パチンコというものは、台に向かって一人で黙々と玉を弾くという行為で、皆が皆ではありませんがパチンコにドップリハマる人はどこか影があるというか、バランスが取り切れていない人が多いと思います。
バンドマンやお笑いの人にパチンコ好きな人が多かったのも、似たような理由でしょう。
自分の場合は、今のこの欠落しまくった人格を形成する上で、親との確執が大きかったと思います。
「親と仲が悪い」という人はよく聞く話ですが、うちはちょっとベクトルが違って、仲が悪いというかお互い興味がない感じで親子喧嘩なんてほとんどしたことがありません。興味がないからケンカにもならないわけですね。。
自分の親は、父親は有名企業の割とエライさん、母親は銀行員上がりという、結構お固い夫婦でした。が、こんな大人になってしまっているように、自分とは幼少の頃からウマが合わず、、
コツコツコツコツと確執が広がっていくわけです。
そして、中学2年生のときに母親が手紙一枚残して、家を出ていってしまいました。
これはこれでビックリしましたが、タンクロウ少年はそこから一気にハネを伸ばしてしまうわけですね~
ということで、というわけでもありませんが、自分のパチンコの人生初打ちは中学2年生のときです。
初打ちのことはこのブログでは最初の頃はなんとなくボカしていましたが、昔のことだし、、当時は珍しくないし、、ということで今ではコメント欄では普通に書いています。
珍しくないこと、というように、昔はパチンコ屋に普通に子供が居ました。
ゴールデンタイムのテレビドラマでも、親に連れられた子供が床に落ちた玉を拾っているシーンが描かれていたくらいに、パチンコ屋には普通に小さな子供も居ました。
今では考えられないことですね、、、
パチンコ屋から子供が消えた日はいつだったのでしょうか。
少なくとも初代ハナビ全盛の頃は普通に子供がパチンコ屋の中をウロウロしていました。が、爆裂AT時代には子供は完全に見なくなったから、18歳未満のパチンコ屋への立ち入り禁止が徹底されたのはおそらく90年代の終わりの頃ですね。
自分が中学生の頃はまだ80年代だったので、パチンコ屋に子供が居ても特に咎められるということはなく、そんな時代背景の中、人生初のパチンコというものに触れたのが中学2年生のときだったというわけです。
その日はヤンキーの友達カップルと遊んでいて、なんとなく時間を持て余しているうちに、女の子のほうが「パチンコでも行く?」とか言いだして、なら行ってみようか。といった感じの、軽~い流れでした。
自分はヤンキーでもなんでもなかったですけど、当時はコミュニケーション能力も普通で、バンドマンからヤンキーからオタクっぽいやつまで幅広く仲良くしていましたね~
とにかく人生初のパチンコ屋。
そんな時代背景だから特に悪いことをしているという感覚は皆無。
パチンコ屋に入ったときは、クソガキ3人でエラそうに入店してきたわけだから、パンチパーマのおっさん店員にギロっと睨まれたような記憶がありますが、当たり前のように特にお咎めはなし。
それでもなんとなく一番端のシマの、真ん中の方に入っていって、適当な台に並んで座りました。名前も覚えていないようなハネモノ横のサンドに、不馴れな手つきで100円玉を2枚投入した感触は今でも鮮明に覚えていますね~
見よう見まねで、両手でジャっとサンドを上げると50個?の玉が出てきて、これまた不慣れな手つきで上皿へ。
で、まさかこれから数十年に渡っていじり倒すことになるとは想像すらしていなかったハンドルを、今と同じくクイっとひねると、バチバチと音を立てながら玉は盤面へ。
昔は今みたいに爆音な店内ではなかったから、玉の音もよく聞こえましたよね。。
なんとなく興奮しつつ、何がどうなったら当たりなのかもわからない状態で、、、
気づくと安っぽいファンファーレとともに、台はビカビカっと光りつつ、曲が流れ始め、、
ハネがパカパカ開き続けて、上皿にチンジャラチンジャラと玉が溢れてきて、、
これはどうやら当たっている状態だぞ。と、訳もわからないうちにその200円でVゾーンに入ったようでした。。。
興奮した隣のヤンキーの友達(男)が
「玉抜かないとパンクするぞ!」
的なことを言いながら上皿の玉を抜き始めて盤面に玉がない状態に。
なにか間違っている行為な気はしつつ、こいつはパチンコに詳しいのだからと納得しつつ。
当時のハネモノの大当りは、V入賞=ラウンド継続、だったので見事にパンク。
と、後になって考えると合点がいくわけですが、当時はわけもわからず、ポカーンとしているうちに静かになってしまいました。
その友達もあんまりわかっていなかったのでしょう笑
で、良くわからないので、パンパンになった下皿の玉を1000発箱に移して、景品に交換して初打ちは終わりとなりました。
一応初打ちは勝利で終わったものの、当時すでに今の本業(といってもバイトレベルですが笑)である音楽は始めていて、楽器に夢中だったこともあって、そこから特にパチンコにドハマリすることはありませんでした。
それは18歳くらいまではそんな感じで、付き合いで誘われたら打っていた程度。こんなものは均せば勝てるものではないし、ゲームセンターの延長。くらいに思っていましたね~
自分はスロマガのしのけん世代のおっさんですけど、あの時代あの情報量であれだけ自分で気づいて勝っていたわけだから、あの人はホント凄いと思います。。。
で、母親が家出をしたちょうど5年後、高校を一応卒業して即自分も家出。
お固い父親だっただけに「一応高校を出るまでは」と体裁を保ったつもりですが、どうやら母親の闇の遺伝子が濃かったようですね、、、
とにかくそこから徐々にパチンコにハマっていくことに、、、
続く。。。
→生立ち②パチンコにのめりこみ始めたのはCR以前、90年代前半でした